第12回 第1部「2020のその先へ——五輪後の日本とその資源」講演会

2017年5月22日(月)、表参道のスパイラルホールで第11回「カルチャー・ヴィジョン・ミーティング」が開催されました。この日の講演は2部構成。第1部には、1998年長野冬季オリンピックの開会式・閉会式プログラムや2005年愛知万博のプロモーションを手がけるなど、日本を代表するデザイナー・原研哉さんが登壇し、海外で日本文化を伝える外務省の事業「ジャパン・ハウス」での経験や、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会後の未来について語りました。

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現代における幸せとは「世界の多様性を味わうこと」

講演は、自らが総合プロデューサーを務める「ジャパン・ハウス」の話から始まりました。「ジャパン・ハウス」とは、「世界のより多くの人々に対して、日本の魅力の諸相を『世界を豊かにする日本』として表現・発信する」ことで、ロンドン、ロサンゼルス、サンパウロの3都市に開設する文化広報施設のこと。講演が行われた同月は、第1号となる「ジャパン・ハウス サンパウロ」がオープンしたばかり。

「ジャパン・ハウスは、トークショーやパフォーマンスなどもできる展示スペースを主体に、質の高い和食が食べられるレストラン、ブックストア、物販などで構成しています。戦略的な対外発信のための施設ですが、とはいえ、決して対外的に日本を発信すればいいというだけの話ではないんです」

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たとえば既存の建物を改築した「ジャパン・ハウス サンパウロ」は、建築家の隈研吾さんがデザインを監修し、ヒノキや和紙などを象徴的に使い、和の文化とブラジル様式の建物が融合した施設です。オープンに先駆けて行われた開館式では、坂本龍一さんや三宅純さん、ブラジル人音楽家のモレ・レンバウム夫妻を迎えて無料コンサートを開催。現地で非常に好意的に受け入れられている様子も紹介してくれました。

「重要なのは、このように各都市で情報発信をしつつ、世界の人々を日本に迎え入れる仕組みをどうつくるか。現代において、幸せの根拠は、いい家に住み世界中から良い物を集めて暮らすことではなく、自らが移動して世界の多様性をその地で味わうことにあるように思います。日々、より多くの人が世界中を移動していく時代です。もちろんオリンピックは重要なイベントですが、さらにその先をどう考えていくのか。それが我々デザイナーの大事な役割だと思っています」

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わかりづらいニッポンから逃げず、地道に伝える

原さんはさらに、日本はユーラシアの東端という特徴的な地勢を背景として、独自の文化の蓄積を重ねてきたという歴史があると言います。だからこそ日本文化は国内外の人々を魅了してやみません。ただしその独自性や奥深さゆえに、外国人に正しく理解されることが難しいという課題もはらんでいると指摘します。

「ジャパン・ハウス総合プロディーサーとしての私の役割は、世界の3拠点のディレクションを通して、“なんちゃってジャパン”にならないよう、できる限り丁寧に編集していくことです。類型的な表現は、最初に触れるときはエキゾチズムとしてインパクトがありますが、初見の驚きというのは忘れ去られるのも早いんです」

「サムライ」「スシ」「ゲイシャ」などはもちろん、着物や和太鼓、折り紙など。日本文化を手っ取り早く理解してもらおうとするあまり、典型や類型を使いすぎている場面はよく見られます。

「日本文化の理解されにくさから逃げずに、ハイカルチャーもサブカルチャーもハイテクノロジーも平等に扱い、根気よく伝えていくことが大事ではないでしょうか。わずかに本質の片鱗が伝わっただけでも、その衝撃は非常に大きな興味を呼び込みます。そういうところで、なんとか粘って取り組んでいきたいと思っています」

すでに観光資源が揃っている日本

  • 原 研哉

    デザイナー。1958年生まれ。デザインを社会に蓄えられた普遍的な知恵ととらえ、コミュニケーションを基軸とした多様なデザイン計画の立案と実践を行っている。日本デザインセンター代表。武蔵野美術大学教授。
    2002年に無印良品アートディレクション、2004年には長野オリンピックの開・閉会式プログラム、2010年には未来産業の新たなプラットフォームの構築を目指す「HOUSE VISION」の活動を開始。
    その他、らくらくスマートフォン、代官山蔦屋書店、GINZA SIXのVIなど活動の領域は多岐。2015年に外務省「JAPAN HOUSE」の総合プロデューサーに就任。
    写真:Yoshiaki Tsutsui