第9回「東京祝祭都市構想」講演会

「では、具体的な説明は、それぞれお話しいただきましょう」と、ここからは妹島さんと名和さんにバトンタッチ。まずは妹島さんが、「広場」の具体的な構想としてまとめた3つのプランを説明することに。

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水平に広がっていく、街そのものを「広場」に。

「磯崎さんのお話のように、今までの広場は、垂直的・直線的に示されていたように思います。これからは、もうちょっと柔らかで立体的なものができるのではないか。ということで、LEDで映像を映し出した立体フレームが雲のように浮かぶ場所を考えました。先ほど広場の例として出ていたものとだいたい同じ大きさ、200メートル角くらいの巨大なものです。これが丸の内のビル群と同じ約150メートルくらいの位置に浮いて、その下の床は上がったり下がったり、いろいろな形になります」

観客席や、倉庫などに囲まれているスペースではさまざまなイベントが行われ、その上には映像が映し出された雲のような物体が浮いていて……。妹島さんと西沢立衛さんによるユニット「SANAA」が提案したのは、そんな空間。さらに、より水平に展開させた、地上30メートルほどの位置に浮かぶ覆いの中でイベントを行うプランなどのバリエーションも。

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「イメージしているのは、何かモニュメントを建てて、それを中心に広場をつくるというものではありません。これまでの広場は、パリにしても中国にしても、大きな固い床でつくられていました。でも、皇居前広場では、松林をそのまま残しながら使いたい。ここは松林と丸の内のビルが風景をつくっているから、街そのものがつくる広場みたいなものになるといいと思うんです。どこか中心ではなく、いろんなところでイベントが起こる場所として、このプランをまとめました」

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つくり手・受け手が区別なく共存している状況をつくる。

続けて、名和さんが話したのは、広場に設置する装置や、イベントで行うパフォーマンスについてのいくつものアイデア。たとえば、学生時代から考えていたという「宇宙花火」は、成層圏外から金属の球を落とすことで、花火のように光が夜空に降り注ぐというもの。

「花火の色は、リチウムなどの金属の粉が燃焼した炎色反応です。同じ金属の球を成層圏に突入させれば、同じような光を出すことができるはず。グリッド状の光にしたり、角度を揃えたりすれば、宇宙空間を使った花火になる。会場にいる人だけでなく、東京以外にいる人も見ることができたら面白いですよね。予算を考慮していないプランですが、実際にJAXAが宇宙花火の実験をやっていますから、技術的にはできないことはないと思います」

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そのほか、ドローンの基地にもなる高さ100メートルの塔に、しずくが床に広がる映像を映し出すプラン、逆回転する2つの舞台の中心に30メートルの球体型ディスプレイが浮かぶプラン、床いっぱいにLEDを埋め込んで地面全体をディスプレイにするプラン……。最新技術を駆使したいくつもの案をプレゼンテーション。最後には、ニューヨークで行われたアン・ハミルトンのインスタレーションを紹介。

「無数のワイヤーで巨大な白い布を制御しているだけのものですが、今は、こういう未来的なのか古いのかわからないような表現が求められているのではないでしょうか。広場がテクノロジーだけで埋められるのではなく、もっとアナログで、だけど最先端のテクノロジーもその背後にあるという、表現の奥行きがあったほうがいい。広場に集う人も演者と観客という対立関係ではなく、同時に共存しているような状況をつくることが、『プラットフォーム2020』のフォーマットであるべきではないかと思います」

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2020年以降、日本が“普通の国”であるために。

「どうせやるなら100日、それくらいのスケールで大きく広げて中身を考えてみたらどうだろうか」。妹島さん、名和さんによるプレゼンテーションを受け、最後に磯崎さんが語ったのは具体的なスケジュールについて。オリンピック期間中の最初の2週間は東京都が、最後の2週間は国が主催するイベントを行い、中間では世界各地のお祭りを順番に開催するという考えを披露しました。

「これから具体的にどう進めていくのか、議論を重ねて行く必要がある」と言いつつ、講演会はこんな言葉で締めくくられました。

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「インディアンのお祭りや、アラスカのお祭りがあるかもしれないし、パプアニューギニアの土着のお祭りもあるだろう。『プラットフォーム2020』を、全世界の祝祭をここに呼ぶ受け皿にしてはどうでしょうか。オリンピックは世界的な祭典なのに、今の日本の動きはどんどん内側に閉じこもる方向に向かっている。これをバンと逆転してしまわないと、すべてが2020年で終わってしまいます。オリンピックをきっかけに人が集まってくる道筋が出来上がれば、同じルートで世界に返すこともできます。こういう形での交換が、文化的、あるいは体験的になされていくことで、初めて日本は“普通の国”になっていくのではないか。『東京祝祭都市構想』は、そのためのひとつのアイデアなんです」

  • 磯崎 新

    建築家/1931年、大分市生まれ。1963年に磯崎新アトリエを設立。以来、国際的建築家として活躍。世界各地で建築展、美術展を開催し、また多くの国際的なコンペの審査委員、シンポジウムの議長などを務める。カリフォルニア大学、ハーヴァード大学、イェール大学、コロンビア大学などで客員教授を歴任。 建築のみならず、思想、美術、デザイン、文化論、批評など多岐にわたる領域で活躍。/撮影:木奥惠三

  • 妹島 和世

    建築家/1956年、茨城県生まれ。日本女子大学大学院修了。1987年に妹島和世建築設計事務所を設立。95年西沢立衛氏とSANAAを設立。2010年第12回ベネチアビエンナーレ国際建築展の総合ディレクターを務める。金沢21世紀美術館、ROLEXラーニングセンター、ルーヴル・ランスなど数多くの建築を手掛ける。 プリツカー賞、ショック賞、ベネチア建築ビエンナーレ展示部門金獅子賞など、 国内外で受賞歴多数。/Photo : Aiko Suzuki

  • 名和 晃平

    彫刻家・SANDWICHディレクター・京都造形芸術大学准教授/1975年生まれ。独自の「PixCell」という概念を基軸に、作品を構成する要素や質感を追求した作品を展開する。2009年より京都・伏見区に創作のためのプラットフォーム「SANDWICH」を立ち上げ、様々なプロジェクトに携わる2011年には東京都現代美術館で個展を開催。2013年には瀬戸内国際芸術祭やあいちトリエンナーレへ参加。また、韓国・チョナン市に巨大な屋外彫刻“Manifold”を設置するなど、国内外で精力的に活動する。/Photo : Nobutada OMOTE|SANDWICH

  • 浅田 彰

    批評家・京都造形芸術大学教授/1957年、兵庫県神戸市生まれ。京都大学経済学部卒業。 京都大学人文科学研究所・助手、京都大学経済研究所・准教授を経て、現在、京都造形芸術大学教授。1983年、『構造と力』(勁草書房)を発表し、翌年の『逃走論』(筑摩書房)で 提示した「スキゾ/パラノ」の パラダイムとともに、「浅田彰現象」とも呼ばれる「ニューアカデミズム・ブーム」を生む。 その後、哲学・思想史のみならず、美術、建築、音楽、舞踊、映画、文学ほか多種多様な分野において批評活動を展開。