第17回「日本のアートの価値を高めるのに、いま必要なこと」

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2019年2月13日(土)、港区の国際文化会館で、第17回カルチャー・ヴィジョン・ミーティング(CVM)が開催されました。登壇者は、ボストンコンサルティンググループ日本代表などを歴任し、政府の未来投資会議「地域経済・インフラ会合」などで日本のアートの価値向上にも取り組む御立尚資さん、京都造形芸術大学工芸学科長であり、アーティストとして国内外で活躍する椿昇さん、サザビーズジャパン代表取締役会長兼社長であり、美術館やアート財団のアドバイザーも務める石坂泰章さん。3名がそれぞれの視点で日本のアートシーンの現在とこれからの展望を語ります。

膨大な日本のストックを、グローバルなアートの文脈に位置づける

「日本には公立・市立含めて3000ほどの美術館がありますが、そのほとんどは苦境に陥っています。たとえば先日、青森県立美術館に行ったんですが、私以外は外国人が数組しかいなくて、しかも棟方志功の展示は通り過ぎていました。うまくいっているといわれる青森でさえ、そんな状況なんです」

最初に登壇した御立さんが語ったのは、日本のアートに関する「矛盾」。大手メディアが大規模に宣伝する展覧会には多くの人が集まるのに、それ以外の展覧会では来場者が少ないこと、展覧会に足を運ぶ人はいてもアート作品を買う人はほとんどいないこと、海外で日本のアートの評価は高まっているのに、日本人アーティストはそもそもアトリエさえないという人がたくさんいること……。

「さまざまな国のクライアントや政府関係者と美術の話になると『アメリカには基本的に新しいものしかないけれど、日本は縄文時代から美術のストックがあるからすごい』と言われることがあります。なぜ世界有数のストックがあるのに、日本のアート市場は小さいのか? こういう“もったいない矛盾”がいくつもあるのが、日本の現状なんです」

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この状況を変えるために御立さんが考えているのが、議論の枠を広げること。アーティストやキュレーター、美術館、ギャラリーなど業界関係者だけでなく、外側にいる人も含めて、アートの振興が日本全体の役に立つということを真剣に考えたほうがいいと言います。たとえば中国では、AIやロボットなど先端技術だけでなく、文化的にも優れているとアピールすることで、一流国だと世界に示そうとしているのだそうです。

「日本も文化に関わる基本法がやっとできたけれど、お金の話ではないと言う人もいるし、税制を変えて一部の人だけが潤うのはダメだと言う人もいます。でも、アートにはおそらく人間の無意識や魂そのものに訴える力があります。だからこそ国民のプライドにも、国のソフトパワーにもなる。そういう意味で国家戦略として位置づけるくらいのことを思い切ってやるべきではないでしょうか」

たとえば、日本はインバウンドに力を入れて取り組んでおり、訪日外国人旅行者数は年間3000万人規模に増えていますが、一方で日本の観光消費額約25兆円のうち、外国人旅行者によるものは約4兆円にとどまっています。その理由は、日本にたくさんあるはずの「ストック」が生かされていないから。

「日本には世界的に評価が高い建築家が多くいますが、観光客が見るのは建築物だけ。これは悔しいことです。本当は建物の中も外も含めて、展示品や食、ツーリズムなど、広い意味での文化すべてが豊かになるはずなのに。もちろんそのためにさまざまな人が努力をしているわけですが、日本人が培ってきたストックを活用するという考えが抜けがちです。しかも日本には、そのストックのデータベースすらないんです」

リストがないから資産総額を計りようがなく、しかも価格は不透明な場合があり、偽物も流通している。そのため、税制など日本のアートに関わる仕組みの整備が遅れてきたと言います。しかし、たとえばフランスでは調度品には相続税がかからないため壁に絵を飾ることが一般的で、アメリカでは美術館に作品を寄付することで減税される仕組みがあるそうで、それは業界関係者以外も一緒になってアートの価値を上げる仕組みをつくってきたからだと御立さん。

「アートや文化をシステマティックに考えていけば、収益機会も出てくるでしょうし、アーティストやフローも増えていくでしょう。そのためには、若冲であれ琳派であれ浮世絵であれ、歴史的ストックの上にコンテンポラリーアートの価値があって、それがグローバルなアートとつながっているという文化的な位置づけを整理して語る必要があります。そしてそれは、アーティストだけではなく、アカデミアに携わる人も、私のようにビジネスに携わる人間も行っていかなければいけないことなんです」

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「アートを買う」ことの、日本と世界のギャップを埋めるために

続いて講演を行ったのは、京都造形芸術大学で教鞭をとる椿さん。これからのアートシーンを担う学生に、どのような教育を行っているかを語りました。椿さんはまず、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートやセントラル・セント・マーチンズのやり方を取り入れて、それまで京都市美術館で行っていた卒業制作展を学内で行うアートフェアへと変えたのだそうです。

「最初は大ブーイングでしたが、だんだん評判になって、次第に何万人も来るようになりました。今はヴェルニサージュというVIPツアーも組んで、僕がラベルをデザインしたワインやシャンパンを出したりもして。昨年は800万円くらい売れました。そのうち200万円くらいは学生同士や教職員が買うんですよ。自分の作品が売れたら友だちのを買うようになりました。同時に教員の若返りを行い、世界で活躍する若手を前倒しで採用しました。彼らが兄貴分となって学生を直接けん引し、いい循環が起こるようになりました。新しいコレクターの参入も相次ぎ、世界へ日本人のアーティストを紹介する力を持ったコンテンポラリーアートギャラリーの、新人リクルーティングの場にもなりつつあります。

もっとも大きく変わったのは、学生の意識。椿さんは、学生をジャニーズ事務所のグループ「嵐」のように育てようと、「君たちも含めてプロダクトなんだから、ちゃんと製品として世界に通用するようになりなさい」と伝えているのだそうです。そしてそのうち、自治体や百貨店からもアートフェアの相談がくるようになりました。現在も、ある百貨店で現代美術画廊のオープンに向けて準備中。

「おじいちゃん、おばあちゃんが買ってくれる日本国内向け美術工芸のマーケットは今でも500億円くらいありますが、世代交代しないのであと10数年で滅びます。その付け替え先は現代美術しかありません。アーティストとエンドユーザーを同時に育て、インフラからロジスティックスまで系統的に整備しないと、もっと悲惨な環境になってしまいます。 余談ですが、僕がこのようなご依頼を受けてイノベーションに取り掛かる条件ですが、資金は提供していただくのに口は出さないでねという、暗黙の”放し飼い契約”を結ぶんです。なぜそうさせてくれるかというと、僕は職業ディレクターではなくトリックスターとしてのアーティストであり、横浜トリエンナーレで巨大なバッタをホテルの外壁に付けるようなことをしているから(笑)。もうあいつはしょうがない、放し飼いにするか;;となる。クライアントに少し冒険心があれば、アーティストをディレクターにしてイノベーションを起こせます。

たとえば、椿さんがディレクターを務めたアートフェア「ARTISTS’ FAIR KYOTO」では、重要文化財である旧日本銀行京都支店を舞台に、建築現場で使われる足場を檻状に組んで会場を構成し、名和晃平さんらがキュレーションした若手アーティスト36名の作品を出品。椿さんやキュレーター自身の作品も会場に並べたそうです。

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「作家も買い手も単管足場で組んだ檻の中に閉じ込められて、看守と囚人のように作品に飲み込まれる。『これがリアルなグローバル市場だ』ということを体感できる場にしたんです。2階に上がるとすごく揺れるんですが、吊り橋効果のせいか、揺れているときに横から『おすすめですよ』って言うとよく売れるんです(笑)。これを京都府が黙認?してくれたんですね」

宣伝は雑誌『美術手帖』が運営するポータルサイトのみ。にもかかわらず行列ができ、一時は入場制限がかかるほど盛況だったそう。そして開催した2日間で売れた作品は、およそ2000万円分。

「若手が売れて僕らが売れなかったら最低ですよ。安い新人時代だけ売れるという脆弱な日本の現代美術マーケットのことがバレてしまいますから。でも、僕らの作品が同じ場で数百万円で売れれば、『若い作家たちも続けていけばもっと高く買ってもらえる』と思えるでしょう。だから若手も僕らもフラットに作品を置くことにしたんです。これがすごく動くようになりました。国内市場では、30万円を超えたら売れなくなる“30万の壁”があって、その次は“100万の壁”がある。日本ではマーケットが脆弱なので中堅ホープでも250万が限界になるのに、グローバルマーケットでは逆にそのプライスでは安すぎて信用がなくなるという現象が起こります。同じ作品が1000万近いと将来の値上がり期待で買われます。日本と世界の市場の間には、とても深いプライスクレバスがあるんです」

現在、世界的には中国のマーケットが急速に拡大しており、対する日本は全体の数パーセント。その原因のひとつは、一時期に比べ日本の経済力自体が落ちていることにもあるものの、実は日本の富裕層数は世界最大規模だと椿さん。にもかかわらずアートを買う人が少ない理由は……。

「一番の問題は、日本の企業を経営しているほとんどの人たちが、アートを必要だと思っていないということです。ここが世界の流れから決定的に遅れている部分。そこへのきちんとした普及活動を、美術館や美大の先生がしてこなかったんです。自戒の念から、僕は自前でマイクロマーケットをつくって、普通に絵を描いて暮らせる希望を創出したい。そんな話でした」

いま必要なのは、アートの「インフラ」を確立すること

  • 御立 尚資

    ボストン コンサルティング グループ(BCG)日本代表・グローバル経営会議メンバーなどを歴任、京都大学・早稲田大学客員教授、大原美術館理事

  • 椿 昇

    瀬戸内国際芸術祭 2013・2016「小豆島 醤の郷+坂手港プロジェクト」ディレクター、青森トリエンナーレ 2017 ディレクター、ARTOTHÈQUE(アルトテック)ディレクター、ARTISTS’ FAIR KYOTO ディレクター、京都造形芸術大学美術工芸学科長

  • 石坂 泰章

    三菱商事勤務やギャラリー経営を経て、2005~2014 年、サザビーズジャパンの代表取締役社長。退任後、アートアドバイザリー会社を設立、複数の国内私立美術館・アート財団等のアドバイザーも兼任。2018 年 9 月よりサザビーズに復帰し、代表取締役会長兼社長に就任。